話は長くなりますが

話の長い人、ワンセンテンスの長い人(特に女性)がニガ手です。
そんな私が、本日は断言。話やや!長くなります。不本意ですがスミマセン。


今週、やたら振り返ってたんです、2人の大感謝せねばならない人物を。
今でも充分すぎる!ほど、ダメダメ人間ですが(笑)
も〜、とりえがナッシング!みたいに自分を思ってた20代のとき
自分を勇気づけてくださったかた。て、皆さんもいますよね?
私は、塚田茂先生(日本最古の?!放送作家)と天野滋さん(元NSP)
字は違えど同じ名前だ〜とか。なぜか並べて。ここにも書こうと思ったりしてたくらい。


先程、先輩から放送作家の塚田茂先生が亡くなったお知らせをいただきました。
昨日、ベランダでホゲ〜と居眠りしてたころ、密葬だったみたいです。
私が学生のとき入社した、テレビ番組制作会社の代表でした。
バブルでは、全く!!いい思いも気分もさせてもらえないアウトローの私でしたが
そんな時代、ひょんなことで、この会社に採用されました。
大々的な就職戦線の中「アルバイト募集みてきたんですけど〜」て私が、イレギュラーみたいに採用されたのは
塚田先生が、自分の奥様と同じ大学。というだけ で判断された気が(苦笑)
でも、先生の周りのスタッフという特別待遇で(午後から出社で月給5万円)
金額じゃなく、あれが唯一の私のバブルだったかもしれない。
先生運転の車で、みんなで箱根合宿行かせてもらったり。かといって何も実作業にはつながらいという…(苦笑)
社会人としてはマイナスも大マイナスだったけど、意外な点をほめていただいたことは密かに残ってます。
本来は、TV−CMの仕事がしたかったので、辞める話をした途端、
先生と目が合うことがぱったりなくなりました。先生、B型やなぁ!と(苦笑 自分もですが…)
貴重な私の、人生寄り道体験でした。
「話が長いのはダメ。最初にまず結論から」と教わったのは先生でした。


天野滋さんは、20代後半、自分がデザイン会社に勤めていた時仕事で知り合い
会社をやめて「さてこれからフリーたってどうすっぺ」て時に、最初にお仕事をくれました。
天野さんの事務所のマークとか名刺とか封筒とかポストカードとか(以前の日記でも書いたな)
で今みたいにメールどころかMACも持ってなかったんで、ことあるごとに三茶の事務所に
お伺いして、そのたびご飯を食べさせていただきましタ…(恐縮デス!)
それ以上に非力な自分を気遣って、会うたび何がしか余談でほめてもらった記憶があります。
めったに(特に会社)ほめてもらうことがなかった私は、深呼吸をさせてもらった気が。
だんだん話を、キレイにまとめすぎてますネ(笑)賀状のやり取りをなんとなくやめた頃
天野さんはグループを再結成してアルバムを出して活躍されてんなぁ〜とテレビで偶然みた数ヶ月後、亡くなりました。
アゴが外れるくらいびっくらこいて、あわててその年出したCDを買わせていただいたんですが、
ついてたDVDは見る気がせず、3年ぶりにはじめて、今週みてみてたんです。
そしたら映像の最後に、自分が作った事務所のマーククレジットが。
御礼をいい忘れてたことを、痛感しました。デカい出会いって意外とずいぶん経ってから気づきますね。


とりあえず今夜は、塚田茂/作詞の「馬鹿は死んでも直らない』『めんどうみたヨ』(唄:植木等
でもかけようかと思いマス(苦笑)